お彼岸でしたね
大震災で忘れていましたが、18日から彼岸に入っていましたね。昨日思い出し、しばらく天気が悪くなりそうなので今日、母といっしょにお墓参りに行って来ました。
(どの写真もクリックすると大きくなります)
だんご粉は無かったので、なんとか手に入った白玉粉で作っただんごと、わずかなお菓子をたずさえて。
生花も買えずに申し訳ないね。去年から飾っている造花で我慢してくれ・・・、と亡き父と弟に詫びます。
二人とも今年が7回忌、6月の弟の命日には必ずきれいな花を上げるからね。
地震であちこちの墓も倒れていますがうちの墓はなんとか無事でした。内陸地震ほどの被害ではありませんでした。
お墓参りを終えるとちょうどお昼時。
今度は生きている人のささやかな慰労の意味で、お昼はくりこま駅前の「高野食堂」さんへ。
母は中華そば、私はちょっと贅沢にチャーシューメンを注文。
電気が通じた翌日の、一昨日から営業しているそうで、プロパンガスを燃料にしているので入荷の見込みがわからず、今のところ昼のみの営業だそうです。
母の中華そばがきました。「たかの」と言えば中華そばですね。鳥のダシがきいたスープが美味しいですよね。チャーシューではなく煮込んだ鶏肉がのっています。
家の被害もほとんど無かったのですが、家の中のかたずけや水道・電気のストップ、度重なる余震で、母も精神的に疲れているようです。
中華を食べて元気を取り戻してくれ。
私がたのんだチャーシューメンです。厚めに切ったチャーシューが3枚のっています。
一枚は母のどんぶりに入れてあげます。
しっかりとした硬さのチャーシューは私好み。美味しいです。
母の食べ残した麺もいただき満腹満腹。地震後初外食でした。
避難所暮らしのみなさんには申し訳ありませんが、ささやかな贅沢をお許しください。
くりこま駅前では「狩人」さん、「金龍」さん(ビーフカレー500円なんて貼紙も)が開いていましたよ。
岩ヶ崎では他にも「正ちゃん」、「青葉食堂」、「ダイコー」が開店しているそうです。夜では「松竹」も営業を始めたようです。
少しずつですが元の姿に戻りつつあります。
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コメント
そうですね、瓦礫だらけの被災地は自転車ではかえって危ないかも知れませんね。
お母さんの会社も、お母さんの力が欲しいから言ったことでしょうけど、年配の女性に言う言葉ではありませんね。
切羽詰った状態になるとそういった言葉が出るのはやむをえないかもしれませんが。
投稿: 栗太郎 | 2011年3月21日 (月) 18時36分
自転車で行けばいいのでしょうが、津波の後で色々な物が流れてきているので、パンクしたらと考えるとちょっとためらってしまいます。
電気もまだまだ来ないので帰りは本当に真っ暗でしょうしね。
うちの母親は高清水に通っているのですが、ガソリンが無いといったら自転車で来いといわれたそうです。
投稿: D | 2011年3月21日 (月) 15時28分
ナガヌマさんも無事でなによりでしたね。
東京もひとたび災害がおきると機能が麻痺してしまうので不便この上ない街になってしまいますね。
友だちづきあいの広いナガヌマさんですから今回はネパールのみなさんに助けてもらいましたね。
会社では責任ある立場なのでなかなか家にも帰れなかったのでしょう。
被災地にある事務所には特に気を使われた事と思います。
それにしても朝早くおきて有効に時間を使われていますね。
私も自宅待機の期間を利用して朝ランニングの習慣をつけようとしています。
投稿: 栗太郎 | 2011年3月21日 (月) 15時09分
勤める会社の事務所が仙台、水戸、いわきにあることから地震後の現地との対応で、昨日も勤務し慌ただしい日々が続いておりました。
少し東京の現状お話させて頂きます。地震の揺れは会社が入居している西新宿の高層ビルも大きく揺れ、向いにあるビルが左右に揺れているのがはっきりわかりました。
その後、交通機関はマヒ状態になり、JR、私鉄の運行の目途が立たず、夕方から自宅まで歩いて帰る帰宅難民の大行列、私の部下はヨコハマまで6時間かけて帰っていきました。
その夜は半分の社員が会社に泊まることになったのですが、近隣レストランは開いているところが限られ、私は知り合いのネパールレストランで食事をすることになりました。こんな時でも意外とやっているのが、外国系のお店.
自宅に帰ったのが12日(土)夜、電車は間引き運行ながら、八王子まで向かう中央線はガラガラ状態.
14日(月)が少し大変でした。鉄道各社が運行区間を制限、いつも利用する日野駅まで自転車、そこから立川駅まで徒歩35分、こんな時マラソンしていて良かったと。
そして、いつも4時50分起きの5時45分を家をでるパターン、新宿にある会社には7時には着く、朝早く活動することは、人が多い東京では、人ごみをさける方法でもあります。
ガソリン、食料品不足は栗原よりはいいようで、スーパーによっては、パンや牛乳もいつもどおりあるようです、小さな店舗ほど品薄のようです。
ガソリンはこちらも長蛇の列、今週にはガソリン不足解消されるとの報道もあり、様子見です。
昨日予定されていた板橋シティマラソンは中止となり、昨年の強風での取りやめと併せて2年連続の中止、当然のことながら5月の仙台国際ハーフも中止になることでしょう。
そして、今回の計画停電で、家で使用している無線ランが不通となる状態に、契約しているフレッツリモートサポートに問い合わせたところ、停電になると、NTTのルータと無線ランのルータが途切れ、電通後、両ルータ間の接続がうまくいかなくなるとかで、同様な問合せが発生しているとのことでした。解消方法としては、①両ルータのコンセントをいったん抜き取り、②NTTルータ、③無線ランのルータの順で電源を入れると開通します。
そちらのでの被害から比べれば、停電や交通機関の間引き運転、全然大丈夫、20数年前にネパールにいた時、結構停電がありましたが、あまり苦になっていませんでした。ただ言えることは、日本は電化社会、当時のネパールでは、食事を作る時はキャンプで使うコンロ、冷蔵庫はもっていましたが、冷凍食品はありませんでしたし、情報源はラジオと新聞、そして人、ネパールの友から様々こと教えて頂きました。
投稿: ナガヌマ | 2011年3月21日 (月) 09時43分
Dさん、気をつけてお帰りください。
15Kmぐらいの通勤距離でしたら自転車で1時間かけてでも行くのですが。
それ以上になると体力が続きませんね。
それにしても無責任な社長ですね。
従業員の命はなんだとおもっているのでしょうか。
再開後、社員に合わせる顔がないと思うのですが。
震災後、会社のかたずけは終わったが、電気が通じず会社にいても何もできないのに、無駄にガソリンを使わせて社員を連日会社に集合させ、それが愛社精神だと思っている、まったく効率を考えないカン違い社長を私も知っていますけどね。
投稿: 栗太郎 | 2011年3月21日 (月) 08時54分
うちの墓も大丈夫でした。
前の地震の時に壊れて頑丈に直したようです。
水曜から片づけに会社に行くことになり、明日仙台に戻ります。
多賀城にはまだ電車も通っていないのでどうやって行ったらいいのか考え中です。
社員の大半も車を流されて交通手段がないというのに・・・。
社長は地震の直後車で逃げていきました。
投稿: D | 2011年3月20日 (日) 20時20分